日本にキリスト教が本格的に伝わったのは、1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島へ来たことから始まります。その後、戦国時代にはキリシタン大名も現れるほど広がりましたが、豊臣秀吉や江戸幕府によって禁止され、長い禁教の時代を迎えました。
幕末になると外国人宣教師が再び来日し、1865年には大浦天主堂で、禁教下でも信仰を守ってきた潜伏キリシタンの存在が明らかになります。明治時代以降は再び布教が広がり、現在へと続いています。
プロテスタント、カトリック、正教会といった教派ごとの区分けはせず、日本におけるキリスト教全体の歴史を年代順にまとめています。
1549年
- 8月15日、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着し、日本でキリスト教の布教を始める。
1582年
- 九州のキリシタン大名、大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信の名代として4人の少年がローマへ派遣される。天正遣欧使節として長崎を出発した。
1587年
- 7月、豊臣秀吉が九州平定の途中でバテレン追放令を出し、宣教師の国外退去を命じる。ただし、南蛮貿易そのものはその後も続けられた。
1597年
- 豊臣秀吉の命令により、宣教師や日本人信徒ら26人が長崎の西坂で処刑される。後に「日本二十六聖人」と呼ばれる。
1603年
- 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府が始まる。
1612年
- 岡本大八事件などを背景に、江戸幕府が江戸・京都・駿府など幕府直轄地でキリスト教を禁止する。
1614年
- 江戸幕府が全国的なキリスト教禁教政策を進め、教会の破壊や宣教師・信徒の国外追放を行う。
- キリシタン大名として知られる高山右近も国外追放となり、フィリピンのマニラへ渡る。
1622年
- 9月、長崎の西坂で宣教師や信徒など55人が処刑される。「元和の大殉教」と呼ばれる。
1620年代
- 長崎などでキリスト教徒を見つけるための絵踏みが行われるようになる。キリストや聖母マリアなどを描いた板を踏ませ、信仰の有無を調べた。
1637年
- 島原・天草一揆(島原の乱)が起こる。一揆には多くのキリシタンが参加していたが、重い年貢や飢饉、領主による厳しい支配など複数の原因が重なった反乱だった。
1638年
- 幕府軍が原城を攻略し、島原・天草一揆が終結する。その後、キリスト教への取り締まりはいっそう厳しくなる。
1639年
- 三代将軍・徳川家光の時代にポルトガル船の来航が禁止される。宣教師が海外から日本へ入ることも非常に難しくなった。
1671年
- 幕府が人別帳と宗門改を結びつけるよう命じ、宗門人別改帳が全国的に原則として毎年作成されるようになる。キリシタンではないことを確認すると同時に、人口を把握する帳簿としても使われた。
江戸時代の禁教期
- 宣教師がいなくなった後も、長崎の浦上・外海・平戸、五島列島、天草などでは、表向きは仏教徒などとして生活しながらキリスト教由来の信仰を守る人々がいた。現在では「潜伏キリシタン」と呼ばれる。
- 祈りの言葉である「オラショ」や洗礼などが、信徒たちによって世代を超えて受け継がれた。
1859年
- 日本の開国にともない、アメリカからヘボンら外国人宣教師が来日する。外国人居留地を中心に、キリスト教の伝道や教育活動が再び始まる。
1864年
- 長崎に大浦天主堂が完成する。現在まで残る日本最古の教会堂で、後に国宝となっている。
1865年
- 3月17日、浦上の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂を訪れ、プティジャン神父に自分たちもキリスト教を信仰していることを告げる。「信徒発見」と呼ばれる出来事で、約250年間にわたって信仰が受け継がれていたことが明らかになった。
1867年
- 浦上のキリシタンたちが信仰を表明したことから、大規模な摘発が始まる。「浦上四番崩れ」と呼ばれる。
- 江戸幕府が終わりを迎える。
1868年
- 明治政府も当初はキリスト教禁止政策を引き継ぎ、浦上のキリシタンを各地へ移して改宗を迫る。この弾圧は欧米諸国から強い批判を受けた。
1873年
- 明治政府がキリシタン禁制を示す高札を撤去する。キリスト教を正式に公認する布告ではなかったが、これによって布教は事実上認められるようになった。
- 各地へ移されていた浦上の信徒たちも長崎へ帰ることを許される。
1880年
- 1870年代から進められていた日本語訳作業によって、新約聖書の翻訳が完成する。
1887年
- 旧約聖書の翻訳も完成し、日本語による新旧約聖書がそろう。
1891年
- 東京・神田駿河台に東京復活大聖堂(ニコライ堂)が完成する。関東大震災で被害を受けた後に修復され、1962年には国の重要文化財に指定された。
1936年
- 東京の聖路加国際病院に聖ルカ礼拝堂が完成する。中世ヨーロッパの教会を思わせる建築として知られる。
1941年
- 6月24日、戦時下の宗教統制が進む中で日本基督教団が設立され、国内の多くのプロテスタント教派が合同する。
1947年
- 日本国憲法が施行され、信教の自由と政教分離が保障される。
1954年
- 東京のカトリック碑文谷教会(サレジオ教会)が完成する。
1962年
- 東京復活大聖堂(ニコライ堂)が国の重要文化財に指定される。
1964年
- 12月、東京の関口教会に東京カテドラル聖マリア大聖堂が完成する。丹下健三の設計による、日本を代表する近代教会建築の一つ。
1978年
- カトリックとプロテスタントの共同翻訳による『共同訳新約聖書』が出版される。
1987年
- カトリックとプロテスタントの共同作業による『聖書 新共同訳』が刊行される。
2018年
- 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録される。禁教下で約250年間にわたって信仰を受け継いだ歴史が世界的に評価された。
日本のキリスト教の歴史を振り返ると
日本のキリスト教史は、1549年のザビエル来日から始まり、戦国時代の布教と拡大、豊臣秀吉や江戸幕府による禁教、潜伏キリシタンによる信仰の継承、幕末の信徒発見、そして明治時代以降の再布教へと続いてきました。
特に特徴的なのは、宣教師がいなくなった後も約250年間にわたって信仰を受け継いだ人々がいたことです。キリスト教の歴史を見ることで、日本とヨーロッパとの交流だけでなく、戦国大名や江戸幕府の宗教政策、明治政府による近代化など、日本史そのものの変化も見えてきます。


